「ふくらむふくらむ」byパンアドバイザー養成講座

2016年8月25日

真夏にパンを焼いて

八月になり最高気温が30℃を超える猛暑日が続くようになりました。例年のことですが、ホームベーカリーで焼く食パンの出来が今一つです。気温が25℃を超えた場合のマニュアル通り、原材料の水を冷水にして量を減らし、酵母の量も減らしてセットするのですが、気泡があらくなり膨らみが小さくなります。過発酵が起こっているのでしょう。原材料の調整だけでいつも通りの膨らみを再現するのには限界があります。

ところで、日本人で最初にパンを食したのは織田信長だと言われています。パンは鉄砲とともに宣教師によって日本に伝来されたそうですが、鎖国後は出島の中で外国人だけに食され、江戸時代末期まで日本人に食されることはありませんでした。

でも、この時日本にパンが普及しなかった理由は鎖国政策のためだけではないのでは?と、この暑さの中、私は考え出してしまいました。南瓜やカステラ、金平糖に南蛮漬けなど、南蛮貿易によって渡日し、日本に根付いた食べ物は多くあります。美味しいものに貪欲な日本人がパンだけ吸収できなかったのは不思議です。

ポルトガル人が織田信長に贈ったパンは、ビスコートという名の固いパンだったそうです。南蛮貿易が行われた16世紀、パンはヨーロッパ全土に普及していましたが、製パン技術はパン職人の親方に独占されており、酵母の存在も認識されておらず膨らむ原理は謎のままでした。南蛮貿易時代に日本で食されたパンは、渡日したパン職人がつくったものかもしれません。しかし、そのパン職人が持ってきたパン種は、熱帯気候の南蛮地域(東南アジア)を航路で通過し、多湿で雑菌の多い日本で培養されたものなのです。私の真夏の失敗パン同様、あまり出来のいいものではなかったのではないでしょうか。さらに、日本にパンが定着しなかった理由として、パン職人がパン種および製法を日本人に安易に与える気持ちになれなかったとも考えられます。

パンがこの時日本に定着しなかったのは、パンの製法が南蛮人にとっても謎に満ちた門外不出の秘伝だったからであり、さらにこれは私の全くの推測なのだけれど、持ってきたパン種の管理がうまくいかなかったからに違いないと、私は一人納得しました。

失敗パンを焼いて抱いた夏の暑い日の妄想です。

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パンアドバイザー&野菜ソムリエ
 むぎの きく
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2016年7月19日

日本のパンの歴史は銘菓にあり

「子供の頃に食べたお八つを思い出すままに挙げてみると次の通りである。

 ビスケット。......。チソパン。木ノ葉パン。...。味噌パン。玉子パン。...。」

 これは、向田邦子著『父の詫び状-お八つの時間-』(文春文庫)の一部である。向田邦子氏は昭和411月生まれなので、もし存命なら86歳だ。東京生まれだが父親が転勤族のため、鹿児島、香川、宮城と全国各地を転々として成長したらしい。玉子パンはともかく、チソパン、木ノ葉パン、味噌パンなるものを私は知らないのでネットで調べてみた。

 チソパン 会津周辺で造られている、紫蘇風味の甘しょっぱい駄菓子。

 木ノ葉パン 銚子周辺で造られている、焼き菓子。

 味噌パン 宮城〜福島〜千葉周辺で造られている、焼き菓子。

「パン」とは、『小麦粉(またはライ麦その他の穀粉)を主原料とし、これに水とイーストなどを加えてこね、発酵させてから焼き上げた食品(広辞苑)』のことを言う。玉子パンも含め、これらは基本的に原材料に酵母を使用していないため、パンではなくお菓子である。いずれも地方銘菓として菓子舗で販売されていた。

それなら、名前の末尾に「ぱん」がつく銘菓が他にもあるかも知れない。さらにネットで調べてみた。(以下、あいうえお順)

 かたパン(敦賀、香川)

 くまたパン(福島)

 ぞうりパン(福島)

 鳥パン(諏訪)

 花パン(桐生)

これらのうち、鳥パンのサイトにその由来が詳しく記載されていた。私はそれを読んで、日本のパンの歴史に関わるある注目すべき点に気付いてしまった。

鳥パンの由来は以下である。明治時代初期、諏訪地方の菓子補の祖先が江戸に修行に行き、パンや西洋菓子の製法を学んだ。帰郷したのち、鳥パンを考案した。それは酵母を使用していないので本当はパンではない。しかし、西洋の文化を感じさせるネーミングと美味しさで評判になり、諏訪地方銘菓となったのである。おそらく、これと同じようなことがそれぞれの地方で起こったのだ。

乾燥酵母があったとしても手軽に入手するのは難しかっただろうし、冷蔵庫や微生物学の知識のない当時の日本で、酵母を安心かつ安定的に自家培養するのも不可能だろう。しかし本物のパンでなくても、江戸帰りの和菓子屋の旦那が考案した○○パンは、それぞれの地方で愛され銘菓となっていったのだ。

 このことから、一つの結論が導き出される。日本のパンの普及の歴史は、パンもどきの菓子、○○パンが地方に広まることから始まった。パン職人が各地でパンをつくり始めたのはもうしばらく後のことであり、まずは、パンの製法を学んだ和菓子職人によってパン菓子が全国に広まり、それから徐々に本物のパンやケーキを知る人が増えるにつれて、専門のパン屋やケーキ屋へと枝分かれしていったのだ。

 つまりは、日本のパンの歴史は銘菓にあると言えるのである。

 

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 末尾にパンがつくもの

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2016年6月20日

パンとメイラード反応

メイラード反応(下図参照)という言葉を、料理や食品に関するテレビ番組や記事でよく見かけるようになりました。実際には、食品のみでなく土壌中や生体内でも重要な役割を演じる化学反応であることが知られています。

アミノ酸+還元糖 → 風味成分+色素成分(メラノイジン)
      (加熱・圧縮・時間経過等)   

近年、食品業界ではメイラード反応による風味成分の生成や褐色化が、食欲増進や見た目の良さに繋がるとして好意的に受け入れられています。二、三十年前になるかと思いますが、メイラード反応はお焦げであり、お焦げには発がん性があるから食べない方がいいと言う説があって、私の両親世代は焦げた部分をそぎ落として食べていた時期がありました。

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 上写真のパンは、左からカリカリトースト、プレッチェル、プンパニッケルです。これらはすべてメイラード反応で褐色化したパンです。温度、PH(ペーハー)、時間、この3条件の値が大きいほどメイラード反応は強く起こりますが、プレッチェル、プンパニッケルは、それぞれPH、時間の値が大きい条件下で焼成したことにより褐色度の強さを実現したパンです。
プレッチェルは、生地を強アルカリ性(=PH値が高い)の水酸化ナトリウム水溶液につけてから焼くことで、この焦げ茶色を出します。ちなみに水酸化ナトリウムは、焼成中、二酸化炭素と反応して無害の炭酸水素ナトリウム(重曹)と水に変化するので、安全性に問題はありません。
プンパニッケルは、長時間(4時間から20時間)蒸し焼きにしたパンです。オーブン等で数時間も焼成すると表面だけ黒焦げになってしまいますが、焦げない温度で蒸し焼きを長時間行うことで、中までメイラード反応が起こり真っ黒のパンができるのです。

食品におけるメイラード反応は、まだよくわからない部分がたくさんあるそうで、現在でも各所で研究が行われています。メイラード反応によって生成された色素成分(メラノイジン)には体によい機能性成分が新たに発見される可能性もあり、数年後には何かのお焦げが体にいい成分を含んでいるとして好んで食べられるようになるかもしれません。


プンパニッケルは、原材料がライ麦であり、食物繊維、ビタミンやミネラル等を多く含んだ健康的なパンです。今後、色素成分(メラノイジン)が注目されれば、それを多く含んだプンパニッケルはさらに注目されるかもしれません。パンアドバイザーとしては、そんな日が来てくれることをひそかに願っています。

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